朝食を終えた一行はそれぞれ準備を整えてアーネスカが駆る馬車に乗り込む。 馬車といっても人間が5人乗れば一杯一杯の大きさで、椅子なんてものはない。どちらかと言うと荷物を運ぶためのリヤカーに近い(屋根はついているが)。 もっとも椅子なんてものがついていた場合横になって眠れないと言うデメリットがある。だからアーネスカは椅子がついていないタイプを採用したわけだ。 「いい加減機嫌直そうよ、レイちゃん」 「うっつつつ……いてぇ……あのやろうマジで骨折れるかと思ったじゃねぇか……」 結局あの後アーネスカが零児に関節技を決め零児がギブアップする形でひとまずは終わった。 「クロガネ君もさ。アーネスカの言うことは冗談なんだから、本気になって受け止めることはないと思うんだけどなぁ……」 半ば呆れてネレスが言う。 「今更引っ込みつかねぇよ……」 「同感ね!」 手綱を握るアーネスカが言う。お互いに強気な性格ゆえに引っ込みがつかなくなってしまったのだ。 ネレスは思う。子供の喧嘩だなと。 しかし、口にして2人の怒りの矛先がこちらに向けられてはたまったものではないので、一々口に出しはしない。 「あ、あうあう……」 険悪な空気が流れる中火乃木はどうしていいのかわからずうろたえていた。 ルーセリアは森と山々に囲まれた国だ。 正確に言えばルーセリアと言う国がトレテスタ山脈と森に囲まれていて、その範囲に広大な草原と森に囲まれた町がいくつも点在している。 即ち森に囲まれた町が点在し、それぞれ1つの町として機能しているのだ。 ルーセリアが法と魔術の国と称されるのは、その町ごとにそれぞれ異なる独自の法が存在し、魔術もそれに応じて様々な種類が存在しているからだ。 今零児達がいるエストの町もその1つで、トレテスタ山脈へ行くためには森の中に作られた道を進む必要があった。 そして、それを越えた先。 「……あ、零児」 「ん? どしたシャロン?」 馬車に揺られ、寝息を立てていた零児がシャロンの声で目を覚ます。機嫌はまだ直っていないようだった。 「あれ」 馬車の戸を開け、外をじっと眺めていたシャロンと一緒に零児も外を見る。 「ほお……すげぇな……」 2人の目に映った光景。それは広大な湿地地帯だった。 トレテスタ山脈とルーセリアを繋ぐ巨大な湿地地帯。どこまで続くのかわからない。ひょっとして果てがないのではと思うくらいにそれは広大だった。 「アーネスカ! こんなところ馬で渡れるのか?」 「渡れるわけないでしょ! ちゃんと橋がかかっているから、それを渡るのよ!」 アーネスカの機嫌もこれまた悪い。 仲直りできる時は遠そうだ。 そうして外を眺めていると次第に橋らしきものが近づいてきた。その隣には木造の大きなコテージがある。 アーネスカは馬車をそのコテージの前で止めた。 「橋の管理人さんに通行の許可をもらってくるわ。すぐ終わるからちょっと待ってて」 アーネスカはそれだけ言い残し、馬車から降りてコテージへと向かう。 「それにしてもすごいな……。この湿地地帯」 アーネスカを待っている間、零児は馬車を下り、湿地草原を眺めることにした。 「自然の力を感じるよね〜。こういうの」 ネレスが零児の横に立つ。火乃木とシャロンも下りてきて湿地地帯を眺める。 広大な湿地地帯。眼前には巨大なトレテスタ山脈。大自然のすごさを感じる。 湿地地帯からはいくつかの草が見えていたり、葉っぱが浮いたりしている。見た感じそれほど深くはないようだ。 「これって人間が普通に歩けるくらいの深さか?」 「私は試したことないけど、橋を頼りにしなくても普通に渡ることは出来るみたいだよ。ただ、そのたびに靴を濡らすことになるのは、ちょっと勘弁だけどねぇ」 「それもそうか」 「ねぇネルさん」 「なに? 火乃木ちゃん」 「ここを渡る以外に、エルノクへ行く方法ってないのかな?」 「一応あるけど、すごく遠回りになるよ。最短でエルノクへ行くにはここを通るか、もう1つの方法を使うか……だね」 「ふ〜ん……」 そんなやり取りの最中、零児は適当に小石を拾って湿地地帯に向かって投げる。 小石は湖面を何度かジャンプしてから沈む。水切りと言う奴だ。 「レイちゃん。昔からそれ得意だったよね〜」 「別に得意ってわけじゃないさ」 「……私も」 今まで黙っていたシャロンが口を開く。 「私もそれ……やってみたい」 シャロンが興味津々に言ってくる。表情そのものに変化はないがその瞳には一種の輝きがある。実際やりたくて仕方がないのだ。 その子供らしい反応に零児はどこか嬉しいものを感じた。 「よし! じゃあ、まずは適当な小石を……」 そのときだった。 「どうして通れないんですか!?」 突如としてコテージからアーネスカの声が聞こえてきた。 零児達の表情が変わる。 「なんかあったのか?」 零児は軽くシャロンに謝るとコテージへと足を運び、扉を開けて中に入る。火乃木達もその後ろについてくる。 コテージ内はかなり広く、全て木造で作られているところに温かみを感じた。同じく木で出来たベンチがいくつも置いてあり、休憩所としての側面があることを物語っている。 その部屋の一角にアーネスカがいた。アーネスカは窓ガラス越しに管理人らしき初老の老人と会話をしている。 「この橋を渡る以外にエルノクへの道はないも同然なんです。どうにか通してもらうことは出来ないんですか!?」 アーネスカはさっきと同じように強気で話している。会話の内容から察すると、橋を通してもらうことは出来ないということなのが分かる。 「仕方がないのじゃ。これもルーセリア国王からのお触れじゃし、おぬし等のためでもあるのじゃ」 「私達のため?」 「うむ。そもそもこの橋を通してはならないのは、理由がきちんとあるのじゃ」 「それは?」 「今この湿地地帯には恐ろしい怪物が住んでおってな。いつ姿を現すから分からないから、通すわけにはいかんのじゃ」 アーネスカはそこで窓ガラスから外を見る。見たところ湿地地帯は平穏に見える。恐ろしい怪物の姿なんか見当たらない。 「何もいないように見えますけど?」 「今はな。しかし、橋を渡ろうとしたらそいつが襲ってくるのじゃ。事実、その怪物に食い殺された行商人や破壊された橋がいくつもあるのじゃ」 湿地地帯は凄まじく広い。その広さゆえに、トレテスタ山脈へ続く橋がいくつも存在する。 「そんな……」 「おい女」 「……!?」 突如、まったく聞き覚えのない声がアーネスカへ向けられた。 いきなり女呼ばわりされたのが癇に障り、アーネスカはその声の主をにらみつけた。 鋭い目つきに頬に大きなさんま傷。髪の毛を中心から左右に分けたショートカットの茶髪の男だった。 「そんなに橋を渡りたきゃ、お前も参加すればいいんじゃねぇのか?」 「何によ?」 2日後行われる、バケモン退治にさ」 そこまで男が話したところで、零児と火乃木は目を丸くして男を見た。 「あ、あいつ……」 「リ、リーオ……くん?」 「あ? ……お、おま……!?」 零児と火乃木、そしてリーオと呼ばれた男がお互いを見合わせる。 「ク、クロガネェェ!!」 リーオは突然ベンチから立ち上がり、零児に詰め寄りその胸倉を掴んだ。 「てめぇ……。よくもまぁ俺を置いていきやがったなぁ! ああ!?」 「何の話だ……?」 一方の零児は冷めた目でリーオを見る。零児より若干背が高い。にも関わらず零児の方が明らかに上手に見える。 「てめぇ1人で行くなら構わなかったさ。けどな! 火乃木まで一緒に連れてアルジニスから出て行きやがって!」 「別に俺が火乃木を連れてきたわけじゃねぇ。火乃木が勝手についてきたんだよ……」 火乃木の名前が挙がったとき、火乃木は一瞬ポカンとした表情をした。何故自分の名前が挙がっているのか分からないからだ。 「と、とりあえずリーオ君。落ち着こうよ!」 しかし、零児が胸倉をつかまれていると言う状況なので、とりあえずその場を収めようとする。 「……っ!」 火乃木に言われリーオは零児の胸倉を放す。そして、今度は火乃木に向き直り、その両手を握る。そして、さっきまでの零児に対しての態度から一変しニコニコと笑顔になり、 「ごめんごめん。ちょっと懐かしい面だったもんだからよ。嬉しくてしてつい胸倉掴んじまった……」 と弁明した。 「は、はぁ……」 「とりあえず、状況整理して一から話してくれないかしら……」 事態がいまいち飲み込めないアーネスカが零児を見ながら言った。 「また面倒なことになりそうだな……」 零児はため息をついた。 トレテスタ山脈前の湿地地帯。そこには現在巨大な化け蛇が生息していると言う。 クジラの如く巨大で、一週間ほど前にもエルノク国からルーセリアに行商人がやってきたところ、突如その蛇が現れ行商人を食い殺し、橋が1つ破壊されたのだという。 ルーセリア国王はトレテスタ山脈前の橋全てを通行禁止にするようお触れを出し、ルーセリア国中からアスクレーターを募った。 理由はもちろんその化け蛇を倒すためだ。 そして、2日後の朝一番でその化け蛇、もとい大蛇を掃討するための作戦が開始されると言う。リーオが言っていたのはこのことだったのだ。 現在コテージではその掃討作戦を行うためにアスクレーターの受け付け所となっている。 「そう言う事だったのね……」 湿地地帯を眺めながらアーネスカは言った。 その場には零児達4人もいる。 「参加するの? アーネスカ?」 ネレスが問う。 「参加するしかないでしょ? ここを通らない場合、わざわざ港まで言って船使わなきゃならなくなるからね」 「けど、大丈夫? だって、相手は……」 その瞬間、アーネスカはネレスの口を塞いだ。 もちろん本人以外その行動の意図は分からない。 「何してんだアーネスカの奴」 「さ、さぁ」 「……」 アーネスカはネレスに何か吹き込んでからネレスの口を解放した。 「と、とりあえず……! 2日後行われると言う大蛇の掃討作戦。国を挙げての作戦だそうだし、何よりあたし達には他に手段を選ぶほどの余裕はない。金銭的な意味を含めてね。よって、この掃討作戦にあたしは参加しようと思うけど、あんた達はどうする?」 「私は別に構わないよ。アーネスカを1人にすると心配だしね」 「なんか引っかかるけど、ネルは参加するってことね。あんた達はどうする?」 「ボクも参加するよ。倒さなきゃ先に進めないんなら……」 「私も……」 ネルがあっさり了承し、火乃木、シャロンも大蛇の掃討作戦に参加を表明する。そんななか零児も参加を表明しようとしたそのときだった。 「俺も……」 「れ〜いじは参加しないのかしら〜? ひょっとして怖気づいちゃったのかなぁ〜?」 明らかに敵意をむき出しにしてアーネスカは零児を挑発した。今朝の喧嘩の続きなのだろう。零児もまたアーネスカを睨みつけて。 「て、てめぇ……誰も参加しねぇなんて言ってねぇだろ……!」 「あっ、そう? 別に無理に参加しなくてもいいのよ〜。こっちは女4人で頑張るからさ〜!」 「参加するっつんだよまな板!」 「ぁんだってぇ!?」 またも喧嘩が勃発した。ネルとシャロンは我関せずといった感じで傍観を決め込み、火乃木はどうすればいいのかオロオロしている。 「火乃木!」 そんなとき、その場にはいない人間の声が聞こえた。 先ほど零児の胸倉を掴んだリーオという男だった。 零児とアーネスカはリーオの接近には気づかない。2人揃って喧嘩に夢中になっている。 「あ、リーオ君」 「なあ、火乃木。ちょっと話があるんだ。時間作れないかな?」 「え? う〜ん。時間はあるにはあるけど……」 「じゃあ、ちょっと来てくれよ。久しぶりに会ったわけだから色々と話しておきたいんだ」 「わ、わかった……」 リーオはかなり強引な押しで火乃木と手を繋ぎその場から去っていった。行き先はコテージのようだ。 「ライバル出現かな? クロガネ君」 「……」 「シャロンちゃんにとっては好都合だよね?」 「……そうかもしれない」 「で、この2人どうする?」 「ケンカはよくない……」 「まあ……ね」 「止めないの?」 「私が止めても続けるだろうからね。こう言うのはほっとくのが一番だよ」 あくまでネレスは傍観する方向でいるようだ。 そんなとき、零児の断末魔(?)の声が聞こえてきた。 「いたたいたた、いてぇいてぇいてぇ!!」 アーネスカが零児を背中から馬乗りにし、右腕を捻っているのだ。左腕のない零児にはもはや抗う術はない。 「参ったかこの!」 「参った! 参った参った! だから乗るな! そして手を放せ!」 零児の物言いに、アーネスカは満足したのか、零児の右手を放して立ち上がった。 「おのれ暴力女……今に見てろよ……!」 涙目で言う零児にアーネスカは余裕の表情で零児を見る。 「女は強しってねぇ! 男なんかには負けないのだ!」 「ほらね? 勝手に収まった」 「本当だ……」 「で、喧嘩が終わったところでさぁ……」 「なに? ネル」 「これからのことを決めておかない? 2日後に大蛇を倒す作戦があるって言っても具体的にどういうことをするのかまだ何も知らないわけだし」 「そのことなら心配ないわ。さっき管理人のお爺さんからアスクレーターの依頼書をもらっておいたから」 依頼書には大蛇討伐作戦と書かれている。 「2日間も時間があるんだし、これ見ながらどうやって戦うのか、考えましょ。とりあえず、ここにいても仕方がないから、エストの町に戻りましょう」 「そうだな……」 零児がそれに答える。他のみんなも異論はないようだった。 「その前に、火乃木はどこ行った? 見当たらないようだけど……」 アーネスカと喧嘩の最中に火乃木はリーオに連れて行かれたので、零児がリーオと供にコテージに向かったことは気づいていない。 「火乃木ちゃんなら、さっきのリーオって男の子と一緒にコテージに行ったよ」 「……ちょっと連れ戻してくる」 軽く不機嫌な表情をしながら零児はコテージへと向かった。 コテージには確かに火乃木とリーオがいた。零児がコテージに入ると同時に火乃木は零児に気づく。 「火乃木。エストの町に行くぞ。今後のことを考えるためにな」 「わかった! じゃあ、またね。リーオ君」 「あ、ちょっ……」 火乃木はリーオの言葉を完全に無視して零児と供にコテージから出て行った。リーオは零児の後姿を睨みつけていた。 「ねぇ、クロガネ君。リーオ君てどんな子なの?」 馬車の中、アスクレーターの依頼書を見ている零児に、ネレスはそんな質問をぶつけてきた。 「蛮勇《ばんゆう》の塊で自分のことしか考えてない奴……かな」 「辛辣《しんらつ》だね……それはまた……」 「実際あいつに蛮勇はあっても、物事をしっかり考えられるような奴じゃない。奴も大蛇討伐に参加するつもりらしいが、邪魔にだけはならないことを願うばかりだよ……」 そういう零児の表情はどこまでも冷めている。まるで倉庫に山積みにされて不良在庫でも見るかのような冷たさだ。 「レイちゃん。そういう言い方、よくないよ」 「お前だって、あいつはどっちかって言うと苦手だろ?」 「……まぁそうだけど」 「ふぅ〜ん」 ネレスは零児と火乃木とは違った意味で笑みを浮かべている。 「なんだよネル、その顔は」 「別に……面白いことになりそうかな〜なんてね」 「なに考えてんだか……」 |
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